「或る少年の怯れ」(谷崎潤一郎)

谷崎の描いた深い深い心の闇

「或る少年の怯(おそ)れ」(谷崎潤一郎)
(「潤一郎ラビリンスⅤ」)中公文庫

兄は義姉の従妹である
瑞恵と結婚する。
しかし芳雄は以前から
兄と瑞恵が親しげに
していることを目撃していた。
兄が注射した直後、
白い液を吐いて死んだ義姉。
芳雄の胸中に、
兄が義姉を殺したのではという
疑いが膨らんでくる…。

芳雄は真実を鋭く見抜いていたのか、
あるいはただの妄想癖だったのか?
心理サスペンスともいえる
谷崎潤一郎の傑作短篇です。

【主要登場人物】
田島芳雄
…幼いときに両親に死なれ、
 長兄の家で育てられる。
田島幹蔵
…芳雄の十九歳年上の兄。町医者。
田島禄次郎
…芳雄の十七歳年上の兄。
田島柳子
…芳雄の十一歳年上の姉。
喜多子
…幹蔵の最初の妻。
 病弱であり亡くなる。
瑞枝
…喜多子の従妹。後に幹蔵と結婚。

義姉がまだ存命中、
十歳の芳雄が兄の医院に立ち寄った際、
兄が瑞恵の胸を診察していたのは、
実は情事に至る途中であり、
その頃から兄と瑞恵の
関係が続いていたということ。
兄が義姉に注射した薬の中には
ヒ素が必要量以上に入っていて、
それが直接の死因になったということ。
義姉の死後のある晩、義姉の残した
三味線をいじっていた芳雄を、
兄が恐ろしいものを見るような表情で
見つめていたのは、
自分が殺した妻が戻ってきたかのような
錯覚を起こしたからであること。
こうしたことが綴られていくのですが、
これらは一切、
芳雄の見た夢の中でのことなのです。

長兄が義姉を殺したかどうかは、
作品中では一切
明らかにはされていません。
医院での出来事は、
密会なのか、単なる診察なのか。
当時の貧血治療には微量のヒ素が
使われているのは確かなのですが、
それが適量だったのか、
意図的な多量だったのか。
三味線の件は、
兄が死んだ妻を恐れた結果か、
芳雄の疑心暗鬼がもたらした
思い違いか。
状況証拠の暗示のみが積み重ねられ、
真相は闇の中なのです。

結果として芳雄は衰弱し、
十四歳の若さで落命します。
事実の恐怖によって
芳雄がじわじわと追いつめられたのか、
それとも自らの心の闇が見せた幻に
芳雄は滅ぼされたのか。
どちらにも読み取れるところが
本作品の本当に恐ろしいところです。

あれほど兄を
恐れていたにもかかわらず、
芳雄は臨終の際、
兄に感謝の言葉を残します。
「兄さん、
 今迄は僕が悪うございました。
 僕は兄さんの
 仕合わせを祈って居ます。
 どうか此れからいつ迄も
 姉さんを可愛がって上げて下さい。
 そうして仲よく
 お暮らしなすって下さい。」

ミステリの源流ともいえる、
谷崎の描いた深い深い心の闇です。

※直接的な記述がなく、
 状況証拠のみが描かれる手法は、
 太宰「新ハムレット」にも
 見られます。

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